大瀧 詠一、大滝 詠一(おおたき えいいち、本名:大瀧 榮一、1948年7月28日 - 2013年12月30日)は、日本のミュージシャン。 シンガーソングライター、作曲家、アレンジャー、音楽プロデューサー、レコードレーベルのオーナー、ラジオDJ、レコーディング・エンジニア、マスタリング・エンジニア、著述家、元Oo Records取締役など、多くの顔を持つ。独自の音楽理論を持ち、1990年代に隆盛を誇った渋谷系のように他ミュージシャンからの引用が多いのが特徴。1950年代から1970年代にかけてのアメリカのポップス・ロック、イギリスのリバプールサウンド、日本の歌謡曲・演芸についての豊富な知識をもち、それらを駆使して制作される音楽トラックは、普通に聞こえても分析すると実は非常にマニアックであり、また、自作詞に関しては独特のおふざけが入っている。作品はおおまかに分けると、メロディタイプと言われる歌もの、ノベルティタイプと言われるサウンド偏重ものの2種類に分かれる。はっぴいえんど活動中の1971年にソロ活動を開始し、アルバム『大瀧詠一』(1972年)を発表。はっぴいえんど解散後はソロ活動に移行せず、当時のシンガーソングライターとしては異例であるCMソングの制作と、布谷文夫など若手のプロデュースを始める。1974年には「ナイアガラ・レーベル」を設立。1980年にCBSソニーに移籍。旧友である松本隆と組んで、ナイアガラサウンドの集大成となる作品のレコーディングに取り掛かる。このレコーディングの最中に、女性向きと考えた「さらばシベリア鉄道」を太田裕美に提供。同曲は大瀧の曲で初めてのヒットシングルになった。 1981年3月に『A LONG VACATION』を発表。当初は売り上げが低迷していたが、徐々にセールスを伸ばし、夏にはチャート2位を記録。「第23回日本レコード大賞・ベストアルバム賞」を受賞した。1983年まで精力的に楽曲提供・プロデュースを続け、松本とCコンビでの松田聖子の シングル『風立ちぬ』で初のチャート1位を記録。うなずきトリオのシングル『うなずきマーチ』では大滝作詞曲で初のチャート入りを果たすなど、多くのアイドルソング・コミックソングなどを手掛け一躍名声が高まる。また森進一の『冬のリヴィエラ』や小林旭の『熱き心に』など演歌系のジャンルにも進出を果たす。 しかし、独自の音楽理論を構築していったことなどが影響し、オリジナル作品をコンスタントに発表していく意味を見いだせなくなっていき、1984年のアルバム『EACH TIME』制作時に歌手活動の休止を決断。人前で歌うことはほとんどなくなり、同年11月にシングルカットした「フィヨルドの少女」を最後に新譜の発表は長い間途絶えることになる。 プロデューサー・作曲家としては引き続き活動し、1986年には自身が少年期からのファンであるクレージーキャッツの30周年記念作を手掛けた。1988年に小泉今日子に提供した『快盗ルビイ』以降作曲から遠ざかっていたが、1995年の渡辺満里奈の『うれしい予感』が作曲家としての復帰作となる。 1997年には『幸せな結末』を発表。『ラブジェネレーション』の主題歌としてミリオンセラーを達成。2000年代に入ると再び旧譜のリマスタリング、音源復刻監修を再開。また昔の自分のラジオ番組をリマスターして再放送したり、昔の自分のラジオ番組の新シリーズを開始するなど、独自の試みを行うようになった。 2003年には6年ぶりのシングル『恋するふたり』を発表。月9ドラマ『東京ラブ・シネマ』主題歌としてヒットする。また、竹内まりやのアルバム『Longtime Favorites』でフランク・シナトラ & ナンシー・シナトラの「恋のひとこと」 をデュエット。これらが最後の作品発表となった。 2013年12月30日17時30分頃、自宅で家族と夕食後のデザートにリンゴを食べている時に倒れ、救急搬送された。救急隊がかけつけた時は既に心肺停止状態であり、病院に搬送後死亡が確認された。死因は解離性動脈瘤とされた。65歳没。